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高崎線通学

今日はまさにつれづれなるままに…高校時代の通学の思い出をひとつ。



高崎線通学

自分が通っていた学校は、当時お茶の水にあった。

自宅からJR高崎線:北本駅まで自転車で10分。普通列車で先ずは上野まで46分。それから山手線か京浜東北線に乗って秋葉原へ。そこで更に中央線に乗り換えて隣りの駅がお茶の水だ。玄関から正門まで70分あまり。
毎朝北本駅発6時59分の電車だが、朝練がある日には6時20分に乗る。いずれにせよ車内は空いていて、運良く座れれば寝ているうちに終点に着いてくれるが、現在は6時台前半でも座れない位、周辺の人口は激増した。

帰りは始発だから、1本送らせてでも座って乗る。勿論熟睡。ただ、往きと違うのは寝過ごす恐れのある事。
だがこれも習性というべきか、実際に寝過ごしたのは3年間で3回程度しかなく、どんなに爆睡していても北本駅に近づくと自然に目が覚めるのであった。
北本駅の1つ手前の桶川駅に着いた時点で何となく意識が戻る。この2つの駅の間には当時6ヶ所の警報機付き踏切があり、まだ半分寝ながらこれらの踏切を通過するのを聞いている。
毎日通学していると車両外の音の響き具合や、警報機の音色で今何処を走っているか判るようになってくる。4つめの踏切を通過した所で目を開け、同時に「間もなく北本~」というアナウンス。首尾よく降車、という訳だ。

と、ここまで書けば、自分はかなりスマートな通学をしていたかのようにみえるが、実際はかなり”オヤジモード”が入っていた高校生だった。

高崎線の電車は当時は全車両ボックス席。寝て帰るにはこの窓際に座るのが一番。窓の桟に頭をもたれて。
ところが、この桟の位置が車両の種類によって微妙に違い、新型車両だと縁が額に当たって痛くて眠れない。
そういう時はハンカチをその部分に当て、ウマく挟んで寝る。
頭の上にはフックがあり、そこに上着をかけたら裾の部分で顔をすっぽり隠して寝る。
他の乗客からは顔が見えないので、口がポカンと開いても大丈夫。
一体どんな奴が寝てるんだ?なんて思われてたかも知れないが、そんな事は気にせず自分だけの夢の世界に浸っていた。

しかし、たまに身体が「ビクッ!」と動いたり、顔が覆われたままの状態で派手なクシャミをしたりで、周りを驚かせる事もあった。
ひどい時は手が隣りの人の太腿に掛かっていたり。流石にこの時は「すみません」と謝ったが、次からはこんな事にならないようにと、親指をズボンのベルトガイドに突っ込んで”ロック”して寝たものだ。

自分が至福の45分間を過ごしている間、何かしら周りの乗客に迷惑をかけていたかも知れないと思うと、(本当のオヤジになった)今になって心苦しい。

昔は今程電車の本数がなかった。試験期間中などは午前中で学校が終わったりするが、困った事に上野発11:26の電車を乗り過ごすと、次は12:56までないのである。
この1時間半のブランクを埋める為に、同じく北本に住んでいる同級生とテニスなんかしたり。
今の首都圏ではありえない話である。

逆に、稀にもっと速い電車に乗れちゃった事もあるが、正確に言えばこれは電車ではない。10:56発の高崎行き(だったか)、これは当時一日1本だけ走っていた電気機関車に引かれた旧型の客車編成で、もう最ッ高の乗り心地であった。
しかも例の窓桟スペースの広いこと!あの車両が無くなってしまったのは心底残念である。

昔はあったのに現在は無くなったもの…パッと思いつくのが他に3つある。
1つはストライキによる全日運休。1つは天井の扇風機、つまり非冷房車両。そしてもう1つは喫煙車や喫煙区間。
自分が殆ど利用しなくなった高崎線普通列車も、今や随分と快適になったものである。

2011.9.14-1


ところで、当時同級生の中には、自分と同じような都外からの”遠距離通学組”が10人以上いた。
どういう訳か、遠距離組は「遠いからと行って絶対遅刻したりするもんか」なんて意地めいた空気があったように思える。
そんな風にして高校生活はあっという間に過ぎ、その結果、卒業時には3年間無欠席という「皆勤賞」受賞者12名のうち、実にほぼ半数がこの遠距離組であった。



自分もその中の1人です。。。今から30年以上も前の話でした。

テーマ : 日記
ジャンル : 音楽

tag : 遠距離通学 皆勤賞

わめき

「ラジカセ」「カセットテープ」なんて単語が死語になりつつあります。
カセットテープ、沢山持っていましたよ。ノーマル、クローム、メタル…何の事か憶えていますか? テープの種類の事です。
時代はこの後MDからDAT、更にはパソコンのHDへと記録媒体が変化し、容量が何百倍にも増えたのは勿論、音質も良く、頭出しも楽になりました。
今ではSDカード等、”回転しない物体”にも録音できる時代。かさばるだけのカセットテープは、そういう訳で我家でも殆ど処分されてしまいました。カセットデッキの方だけは健在ですが、使う事は年に何回かあるかないかです。

さて数年程前、100本を越える大量のカセットテープを処分する際に、その音源は複数のMDやHDやUSBメモリ等に何重もバックアップしておきました。すると、あんなに沢山あったテープの曲が、4GBのUSBメモリ1本に納まってしまったワケでして。驚きです。
で、これをパソコンに差せばいつでも何処でもどの曲でも、どの部分でも瞬時に聴く事ができるわけです。

そんな作業中、特に思い出に残る1本が出て来ました。




「わめき」

中学2年生の頃である。
近所に住む同級生で親友のTY君、彼はピアノを習っていたのだが、或る日自宅にて、面白半分に自分がフルートを吹き、彼がピアノを弾く即興演奏を録音しようってことになった。
でも、ただこれだけじゃつまらないから、自分はフルートだけでなく他の横笛やリコーダー等持ち替え、そして更にはいろんな物を楽器にしちゃえ、ってことになった。
口笛、手拍子、鈴、メトロノーム、鉛筆削り、水槽用のエアポンプ、部屋のあちこちを何かで叩く、水をぴちゃぴちゃと揺らす、石油ストーブに水を垂らす、何か金網のような物を思い切り撥く…等々。あと強いていえば電車の音?(家のすぐ裏を通っているから)。

そんな訳で、二人で一応“演奏”の構成を打ち合わせる。後はもう、ラジカセの録音ボタンを押して自由気ままにスタート。テイクは1回限り!

こうしてできたテープが交響曲「わめき」

このネーミングはともかく、何故か交響曲にしたという点が我ながらシブい。
曲構成もそれなりである。つまり…

第1楽章は活発で喜びに満ちた感じ。
第2楽章は緩やかな雰囲気と、狂ったような激しさの3部形式。
第3楽章はフルートやピアノを殆ど使わず。
第4楽章は壮大なフィナーレ。

全部で28分、熱演である(笑)。

こうしてできたテープを、何と二人で当時の音楽の先生にお渡しし、聴いて頂いたのである。
そうしたら先生からこんなコメントを書いて頂いた。
「おどろき!何か躍動感に溢れ、とても感動した」みたいなお褒めの言葉。しかし最後にこうも書き添えられていた「そこで、今度はしっかりした勉強をすすめたい」…程々にしてちゃんと勉強もしなさいという事(汗)。

でも自分達はこれに従わなかった(笑)。これに気を良くした2人の中学生は、後日更にヴァージョンアップした交響詩「わめき」&組曲「わめき」を作成してしまったのである。

ところがこのテープ、中学校の音楽室の机の中に入れたまま、うっかり帰宅してしまい、気が付いて翌日見たらもうなかった。誰かが持って行ってしまったのか。バックアップできる時代じゃなかったし、今や何処にあるのか…。貴重なあの組曲「わめき」ああまた聴いてみたい…35年前の不覚…。



まあ、ここまでかいたら、実際の交響曲「わめき」の音を紹介しない訳にはいかないのですが、ホントに下らないので、編集したものをほんの一部だけ紹介いたします。



(録音:1976年12月8日)
(画像は特に関係ありません。あ、あとちょっとエコーかけてます^o^!)

つくづく思うんですが、確かにこの発想は先日リリースした自作CD「YUMOJAZZ!?→」に通ずるものがあるなと…。

まあこの「わめき」はともかく、他にも貴重なエアチェック(←この単語も古いですね。FM等のライブ放送を録音する事です)テープがいろいろ出てきました。代表的なのは…

☆1975年3月;ベーム&ウィーンフィル来日の大名演、ブラームス交響曲第1番。他にストラヴィンスキー「火の鳥」等。
☆1981年11月;カラヤン&ベルリンフィル来日公演の「ボレロ」トロンボーンが大失敗した記念すべき(?)ライヴ。
☆1986年5月;クライバー&バイエルン放送響来日の大名演、ベートーヴェンの交響曲第4&7番、「こうもり」序曲。

ある意味、宝物です。


テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

tag : カセットテープ カセットデッキ 即興演奏 わめき ベーム&ウィーンフィル クライバー&バイエルン放送響 カラヤン&ベルリンフィル

父の葬儀

今日は父の告別式から丁度5年たった日です。
母も亡くしている自分は喪主を務めねばならず、悲しんでいる暇などない位、いろいろと大変でした。

でもこの時の葬儀は、不思議な感情が交錯する式でした。
つまり、肉親を失った悲しみと、喪主を務める緊張感と、もうひとつ、何故か「可笑しい」という感覚。どうしてかって?
(以降ちょっと失礼な表現があると思いますが、何卒お許しを)




2011.8.18-1

2006年8月17日。
既に通夜を終え、この夜は祭壇の前に伯父伯母が集まり、夜更けまで父の思い出話を淡々と語っていたものだった。自分もかしこまって聞いていた。
父について初めて聞く話もあり、何だかしみじみとしたひとときであった。

明日はいよいよ告別式。接待、謝辞、出棺、火葬、その他諸々の行事を喪主としてきちんと努められるかどうか、目の前の遺影が「ヨッジ、しっかりやれよ」と言っているようで、緊張して睡眠も浅かった記憶がある。

翌日。
我家の菩提寺は臨済宗妙心寺派に属するお寺だが、そこでいつもお世話になっている方丈様(和尚さん)が間もなく到着。とても気さくな方である。早速ご挨拶をして控室にご案内。

間もなく葬儀が始まり、導師(方丈様)入場。お鈴を「チーン、チーン…」と鳴らしながら。その格好は…
こういう宗派だからなのか、凄く派手だ。よく解らないが。
不思議な形をした帽子、明るい色彩の袈裟、アラジンが履くような先っぽが上に尖ってる靴。
お鈴、経典を携え、小脇にシンバルのような物を挟んでいる。

昨日のお通夜もなかなか凄い衣装であったが、今日はそれを上回っている。おそらく告別式用であろう。

お経、続いてお焼香が始まった。そして…

参列者全員の焼香が終わったあたりから、読経の声が次第に大きくなってきた。「摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若羅蜜多時 照見五薀皆空 度一切苦厄…」

そのうち、おもむろにあのシンバルを取り出す。西洋音楽のあのシンバルではないので「パシーン!」「シャン!」とかいう音ではなく、「ワランワラン…」と鈍い音がする。
さて導師、そのシンバルをこすり合わせながら、更に読経はエスカレート。

「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」ワランワラン「受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相」ワランワラン「不生不滅 不垢不浄」ワランワララン「不増不減 是故空中」ワランワラワラン「無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意」ワラワランワララン「無色声香味触法 無眼界乃至無意識界」ワラワラワラワラランワラン…。

本当に申し訳ないが、何だか滑稽に思えてきた。でも笑ってはいけない。厳格な儀式である。

そしてこの”弾き語り”がクライマックスに達したその時、導師はシンバルを奏するのを止め、二言三言何か唱えたと思ったら、いきなり祭壇が吹き飛ぶかのようなフォルティッシモで一声、

「かーつ!」(喝)

もー、すごくビックリした。

実はこの方丈様には更に9年前の母の葬儀の時にも来て頂いているので、これが初めてではなかったのだが、母の時は本当に悲しかったせいか、あまりこの事は覚えていなかった。
そういえばアラジンみたいな靴だったな、シンバルがあったな、「喝」って叫んでたなと、後になって思い出した次第である。
それにしても遺体に向かって喝を入れるとは…興味深い宗派だなと思う。

それはともかく、この後一連の行事を終え、父は荼毘に付された。

勿論悲しみに暮れる一日でもあったが、お骨を抱えて自宅に戻るマイクロバスの中は、緊張の糸が解れたような空気であった。
その車内で、12歳の甥っ子が一言「かーつ」、これを機に遺族一同一気に盛り上がる。「こう言っちゃいけないんだけど、やっぱり面白かったね」…父の遺影も自分達の話に共感して笑っているようだった。



告別式では祭壇の前でフルートの演奏もしました。父が最高に好きだった、グリークの「ソルヴェイグの歌」。
変な話ですが、死ぬ時に医学的に耳は一番最後まで機能しているそうです。もしかしたら遥か彼方で、本当に父は聴いてくれたかも知れません。
2011.8.18-2


この日、家族や妹家族、親戚の皆様、そして参列者の皆様の協力によって、無事に葬儀を終えられた事を感謝しております。
(注:本文中のお経は般若心経の一部ですが、実際にそう唱えていたわけではありません。念のため。)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

tag : 葬儀 通夜 告別式 臨済宗 妙心寺派 摩訶般若波羅蜜多心経 般若心経 グリーク ソルヴェイグの歌

大ごみとり

昨日は父の命日でした。

塗装工(ペンキ屋)だった父は頑固一徹、怖かった思い出も沢山あります。
今でいうガテン系の職人さんは、ペンキ屋はペンキ塗りしかできないのかというと、そうではないそうです。
父も仕事現場で、他の職人さんからいろいろ教わって身に付いたらしく、大工から左官から配管まで何でもでき、なんと自宅の増築まで一人でやってのけました。

その時、自分も無理矢理手伝わされた記憶があります…因みに当時まだ中学生。
でも自分はもしかしたら、その血を確実に引いているかもと、最近つくづく思うのです。自分でいうのもなんですが、(俺ってペンキ塗り、フルートよりも上手いな)なんて思う事も…ハハハ。

ところで、今は夏休み真っただ中。夏休みといえば宿題。夏休みの宿題といえば、工作がありましたね。
この工作といえば、自分が真っ先に思い出すのが、父の性格を端的に表したあるエピソード。
もう時効だから話してもいいかな…。




大ごみとり

1974年、洋司小学6年生の夏。洋司は工作の宿題に頭を抱えていた。
何を作れば良いのか?…苦し紛れに頭に浮かんだのが「洗剤サーバー」。木箱に洗濯洗剤を入れ、下部の取っ手を押すと決まった量が「ザーッ」と出てくる仕掛け。

って、そんな物簡単に作れるワケがないではないか。そもそも洗剤は毎回定量使う訳でもなく、そんな物は返って使いづらいだけだが、行き当たりばったり感覚の洋司には、そんな事は頭にない。

先ずは取り敢えず木箱を作ってみようと、ベニア板に鋸を挽き始めた。が、小学生にとって鋸挽きは至難の業、途中で腕は痛くなるわ切り口は曲がるわ…ようやく切れたいびつな1枚目。
いつになったら木箱ができるのか。もはや取っ手の事などどうでも良く、ただこれに洗剤入れりゃいいや、なんて思い始めていた。「洗剤箱」? わざわざ移し替えるだけ? そんなの意味ないよなあ~。


この様子を隔靴掻痒の思いでじっと見ていた父が遂にキレた!「ヨッジ!お前はそんな計画性のないことでどうする!」いきなりその切った板で洋司の頭をひっぱたいた。痛いのと情けないのとで涙が滲み出る洋司。
そんな事にお構いなく、父はおもむろに何かを自分で作り始めた。18Lの銅鉱缶(四角いペンキ缶)を金鋏で「バリバリ」と切り始め、まっ二つにした後、金槌で「ガンガンッ」と整形。穴を1ヶ所空けたら、そこに木の棒を差し込む。釘で固定。バネのような物を棒のてっぺんにくっ付けて完成。洋司の涙が乾かないうちに出来上がってしまった。

2011.8.14-1


「何これ?」「どうだ、これはチリトリだ」今でいうドヤ顔、でもチリトリにしては巨大だ。
「ヨッジ。お前はこれを持ってけ。お前のワケのわからん物よりこっちの方がよっぽどマシだ」悔しいが確かにその通りである。
仕方なく父の言う通りにした。父の監督指導のもとで青紫のペンキを全体に塗りたくり、名前を「大ごみとり」として、2学期始業式の日に提出。とにかくランドセルよりも大きいので、持って行くのに苦労した。重いというより恥ずかしかった記憶がある。

ところが…その「大ごみとり」が
2011.8.14-2
こんな賞を頂いてしまった。
後日、この賞状は朝礼にて、全校生徒の前で校長先生から手渡された。
生まれて初めて貰った賞状が、オヤジの作ったコレのお蔭とは…。

因みに、最優秀賞はもう1人いた。同じクラスのKさんの弟が作った「タワシの水切り」これは如何にも小学生らしいできばえだった。
それにひきかえ自分のはこんなに立派で、誰も大人が作ったと気付かなかったのか?
罪の意識に苛まれながら残りの半年を過ごして、洋司は小学校を卒業した。


あれから36年、去年の夏休み。
今度は自分の中学生の娘が工作に悩んでいるので、横着者の娘の為に「寝ながら本が読める書見台」を提案。
流石に全部作る訳にはいかないので、設計とその後の材料の切出しや、ドリルで穴開けなどの危険作業は自分が行ない、組立てと塗装は娘にやらせました。ま、殆ど親が作ったようなもんですな。

2011.8.14-3

そうしたら2学期のある日、娘曰く「クラスの皆は工作持って帰ったのに、ウチのだけ返してくれないんだよね」
一瞬ドキッとしましたが、まあ程なく(何処にも入賞せずに)後日返って来ました…ホッ。血は争えない。


オヤジ、感謝してますm(__)m

テーマ : こんなの作りました♪
ジャンル : 趣味・実用

tag : 夏休み宿題 工作 ペンキ屋 ガテン系 産業教育振興会 発明創意工夫展 賞状 書見台

サウス語録

「えんぴつチリンチリン」の章で、自分を大笑いさせてくれたクラリネット科の旧友「サウス」ですが、彼は現在東北地方に在住。今頃雪に埋もれている事でしょう。今日はここ、さいたまも雪。そこで、降りしきる雪を眺めながら、彼の面白語録を思い出してみました。



その1
 ある日、ボクやサウスをはじめ、仲間内で冗談など言いながら笑ってたら、その中の1人で同じく同期生のM曰く「おい、あんまり笑わせないでくれよ。オレ今、痔なんだよ。笑うといてえんだからよ」
 Mは何事も針小棒大的に大袈裟に振舞うので定評がある。
 その後、昼食を食べに学食へ。皆で歩いていたら、独り遅れたMが「待ってくれよ~」と後から走って来た。それを見たサウスが一言。
「笑えねーヤツがよく走れるなァ」

その2
 ボクとサウスとの会話の中で、ボクの妹がメンズブランドの会社に就職したという話の流れになった。
「サウスも妹ん処で何か買ってくれよ。ベルトなんかどうだい?」
「いくらだ?」
「ん~◯万円位かな?」
「バカヤロウ、ズボンより高いベルトなんて買えるか!」

その3
 サウスの下宿で宴会。皆で酒や食料を買い出しに行った。すると通りの向こう側に「小僧寿司」があり、手っ取り早くそこで買おうという話に。
 ボクは目が悪いので、最初その店舗が何処にあるのか判らなかった。
「小僧寿司なんて何処にあるんだよ?」
「あそこにあるだろ!」
「何処?どこ!」
 頭にきたサウスがウンザリして指差して怒鳴る「あそこにオレンジ色の小僧が立っとるだろうが!」例の看板の事だ。またもや死ぬ程笑わされる破目に。

その4
卒業して10年位経ってからの大学時代のクラス会。サウスは遥々東北地方からこの宴会だけの為にやって来た。
当然これだけでも彼は注目の的だが、もう40歳近くなのに「青春18きっぷ」で来たっていうから更に皆その話に大ウケ。
更に更に、サウスのコメント「オレはなあ、誘われた飲み会は断らない主義なんだ」一同大爆笑。



 まだまだありますが、取り敢えず思いつくままに挙げてみました。サウスリバーよ、面白いネタをありがとさんです。お前と一緒でホント楽しかったよ。

 え?ボクのはないのかって?

 ん~、まァ~あるけど。じゃ今度何か白状します。

テーマ : つれづれ日記
ジャンル : 日記

tag : 東北地方 東京芸術大学 クラリネット 小僧寿司 青春18きっぷ クラス会

プロフィール

Yumochan(ゆもとようじ)

Author:Yumochan(ゆもとようじ)
本名:湯本洋司
フルート&ピッコロ奏者。アレンジャー。
(属)芸大フィルハーモニア/アマデウス・クィンテット/ムラマツフルートレッスンセンター講師

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