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「イメージする」ということ

小さくなったモルダウ川

チェコの作曲家、スメタナの作曲した連作交響詩「我が祖国」の第2曲「モルダウ」。

皆さんもよくご存知のオーケストラ曲で、チェコを流れるモルダウ川が源流から始まって最後は大海に流れ出て行く様子を表している名曲である。
その各部分には「源流~メインテーマ~狩り~結婚式~妖精~急流~お城」とかいう副題が元からついているので、鑑賞者はその光景を思い浮かべながら聴く事になる。

だがもし、それらの副題を知らずに聴いた時、各々の脳裏にはどんな場面が浮かび上がってくるだろう?
そんな音楽の授業も面白いだろうなあと思う。MusicとImagination、つまりMusic→Imagination&Imagination→Musicという関係は、特に歌詞のない音楽に於いて重要な鑑賞要素である。


だが先日、そんな事など全く無視された、疑問だらけの音楽の授業に遭遇した。

その女教師は、この曲について教科書通り各場面の解説をし、次に冒頭のフルートソロで始まる音型と、第1ヴァイオリンの奏でるメインテーマの音型の関連性について説明。

2013.3.29-1

この2つの関連性はややもすれば無理なこじつけ論に思える、たった1~2小節のみの出来事。
音符と音符の間隔が広がったとか余計な音が取れたとかを楽譜を黒板に書き、かなりの時間を割いて説いていた。

音楽科の学生相手の授業なら面白い所に着目したと思えるだろう。だがここは普通の中学校、生徒達は今ひとつ理解できていないようだった。

自分も聞いていて何か釈然としなかった。

だがスメタナが本当にそういうつもりで書いたかどうか?なんてどうでもよい。はっきりいって楽譜なんか必要ないのだ。
大切なのは、どんな感じに聞こえたかであろう。ピアノでタラララッと弾いて聞かせればそれで済む事だ。


さて、今の時代は音楽室に液晶大画面テレビがあったりする時代である。

このよく解らない解説の後、早速DVDで「モルダウ」のオーケストラ演奏を大画面で鑑賞。その間教師は何となく生徒の周辺を歩き回っている。

生徒達は画面を見てどう思っているのだろう?
オーケストラには、素人目で見ていると不思議な疑問点がふつふつと沸いてくるであろう。

例えば…
指揮者の棒の動きと聞こえてくる音楽が、微妙にずれているのは何故?
よく見ると楽員は楽譜ばかり見ていて、殆ど指揮者を見ていないのは何故?
弦楽器の弓の動きが揃っているのは何故?
などなど。

曲をかけながら喋るわけにもいかないが、これらの理由を説明してあげると、生徒達は面白くて画面と音楽に夢中になるのに、と思いながらこっちは見ていたのだが。

曲が終わってから教師は「どの部分が良かった?」と手を挙げさせ、適当に感想等聞いていたが、生徒達はあまりちゃんと応えていなかった。

最後に、この教師の信じ難い言葉を聞いた。
この前、この曲の最後で『川が小さくなったように聞こえた』と答えた生徒がいたけど、そういう勘違いしないでね。川が遠ざかっていった様子を表してるのよ

モルダウの最後部では〆の「ジャン、ジャン」というフォルテッシモの直前に弦楽器のディミヌエンドある。
2013.3.29-2
これを「川が小さくなった」ととらえる発想…素晴らしいではないか!
なのにこの教師は「勘違いしないで」とイメージの広がりを否定していたのである!勘違いなのか?
だいたい「川が遠ざかる」って何だ?誰が決めたんだ?

その他の授業も、あまり実のあるものではないといわれているこの音楽教師、更には担任も持っているそうだが、関係筋の話ではその担任ぶりも最悪だったそうだ。気の毒な生徒達。

たまたまこんな教師が日本にたった1人居るだけだ、と信じたいところだが、もしかしたら音楽教育のやり方、在り方そのものに何か問題があると思う。
となると、その発端は音楽教師を育成する、例えば大学の教育学部音楽科等での教育からして責任があるのかも知れない。



ところでこのDVD、昔の読売日本交響楽団の映像でした。知っている方達が沢山映っていましたが、特にFluteのトップは今は亡き恩師、G先生が吹いていたので、自分はとても懐かしい思いで、食い入るように観ていました。



4月よりホームページの構成を変更しようと思います。
そのため今回をもちましてブログを暫く休止致します。
再開までの間は、コンサートのご案内などをここに掲載しておきます。
これまでのご愛読、感謝致しますm(__)m
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テーマ : 中学校
ジャンル : 学校・教育

tag : 音楽教育 音楽教師 モルダウ川 スメタナ イメージする 読響 高野恵美

暗譜について(その2)

今日は昨年10月19日の記事、暗譜について(その1)の続編です。

自分はこれまでソロ・リサイタルを4回やって来ましたが、この4回は総て全曲暗譜で演奏しました。
自分は多分、比較的譜面は憶え易い方だと思います。但しそれは若い頃の話!
今はやはり、昔程は憶えられませんねェ。

そんな自分はどういう風に暗譜をしていくのか?
あまり意識した事はありませんが、丁度ある本番を控えて今憶えている曲がありますので、敢えて検証してみましょう。




数年前から自分の研究課題として続けている、バッハの無伴奏ヴァイオリン・シリーズ

これは尊敬するピッコロ奏者:時任和夫氏に習ったのだが、このシリーズはオリジナルを完全4度上げて吹くと音域がぴったりハマるとの事。
今回採り上げたのは、無伴奏パルティータBWV1002。
元はh-moll(ロ短調)だが、そんな訳で4度上げてe-moll(ホ短調)に。

これはその中の第2曲Corrente(コレンテ)のDouble(ドゥーブル)。
2013.3.22-1
ドゥーブルとは前の曲(ここではコレンテ)の技巧的なヴァリエーションの事で、大体このように音符が駆け巡っている。

でこれを今、現在進行形で暗譜しようとしている訳だ。

本格的に譜読みをはじめたのは今月に入ってから。
つまり3月1日頃。

ゆっくりめのテンポで譜読みした後、リズムを替えて練習する。
ありとあらゆるリズムパターンで。
この時の心構えとしては(自分だけだと思うが)暗譜をしようと思わないこと。
あくまで自然に身に付くのを待つ。

3月10日頃。
「楽譜を出して譜面台に広げるのがメンドクサい」という何とも怠慢な考えのもとに、見ないで吹いてみる…と、意外と結構憶えている事に気付く。
が、所々虫食いのように忘れている。
この楽譜は大体パターンが何種類かに決まっていて、それはこのように色分けできる。
色がついている音符は印象深いので憶えているようだ。
問題は色がついていない音符。途中の臨時記号の付き具合やフレーズの行き先など。
この辺を集中してさらう。が(変な話だが)くれぐれも無理に憶えようとせず、自然な感覚で繰り返す。

3月20日頃。
大体憶えたようである。が、まだ完全ではない。
テンポを変えてみると所々忘れる事がある。つまりメロディーの印象が変わるからだ。
早くしたり遅くしたり、または部分的に取り出して繰り返してみる。特に今吹いている所が曲全体のどの辺なのか、まだ把握できていない自分がいる。
ここまで、残念ながら毎日この曲がさらえた訳ではないので、もしかしたらもっと早く、もっと濃く憶えていたであろう。

固定ドと移動ド

ところで自分には「絶対音感」はない。これと関係していると思うが、自分には世の中の楽音は全部ドレミファ~に聞こえる。
つまりどんな調性(key)でもこのように聞こえ、例えばB-Dur(変ロ長調)の音階がシドレミファソラシなんて聞こえない(聞こえてたまるか、ドレミファソラシドだ!)。

更に言うならば、自分には短調さえドレミファソラシドと聞こえるし歌える。
例えばa-moll(イ短調)だってラシドレミファソラじゃない、ドレミファソラシドだ。まさに筋金入りの移動ド人間。

という事は、このような転調だらけの楽譜は、自分にはどう読めるか?
2013.3.22-2
こんな風に音階がアッチャコッチャで変換している。が、このこと自体は別に苦ではない。
各調性毎に、その音階で憶えている自分がいる。

読者の皆さんには素朴な疑問が持ち上がるだろう。では無調のような現代曲はどのように聞こえているのか?
まあ曲にもよるが、大体はC-Dur(ハ長調)でそのまま憶えているようである(^o^)。

そして今日22日。
暗譜完了。ただ、この曲の前に来るCorrenteの方が、簡単故にあまりさらっていなくて、まだ暗譜できていない。



音楽家を目指す皆さんへ

これはとても大事な話です。
人間の脳細胞は10,000,000,000(百億)個ありますが、25歳を過ぎると1日につき100,000(十万)個ずつ死んでいくのです。
そのせいかどうか知りませんが、自分が二十歳代で暗譜した曲は、今でも(何となく)憶えていますが、30歳を過ぎてから暗譜した曲は、殆ど憶えていません。最初の音すら忘れている事も。

ですから、特に音楽を勉強している若い人達は、その25歳前後位までにできるだけ沢山の曲を憶えてレパートリーとして下さい。

それは一生自分の身に付く宝となるでしょう。



[おしらせ]

毎週金曜日に更新してきた拙ブログ記事、予定では来週丁度第200回を迎える事になります。
これを機に、4月からはホームページの構成を替えようと思います。その“工事“の為、ブログを暫くお休み致します。


ところで、先月から理由あって、自分のツィッターを非公開にしています。
基本的にはツィッターのアカウントを持っている方が、私にフォローリクエストを送る事により見る事ができますが、再開の折には、このブログでも主なツィートのみ見られるようにしたいと思います。

テーマ : 楽器 練習
ジャンル : 音楽

tag : 暗譜 バッハ 無伴奏パルティータ 固定ド 移動ド 絶対音感 脳細胞

タイムスリップ・アマデウス

現代のお医者さんが幕末にタイムスリップしたドラマ「JIN」、古代ローマから現代の風呂屋にタイムスリップした漫画&映画「テルマエロマエ」等、タイムスリップものが面白いですね。

ではもしモーツァルトが、あのウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現代の日本にタイムスリップして、コンサートを聴いたとしたら?

モーツァルトは沢山の人に沢山の手紙を書いたことで知られています。

2013.2.1-1
(妻コンスタンツェへの手紙の自筆)

そこでこのコンサートの様子や感想を彼の父、レオポルド・モーツァルトに宛てた手紙、という形で想像してみると…?

さて、この三通の手紙、一体何のコンサートを聴いた感想なのか、考えてみて下さい。




1.
2013.2.1-2

 お父さん、僕はとても驚いています。世の中にこんな音楽があっていいのでしょうか?僕はあれ程音階の美しさを引っ掻き回した曲を聴いた事がありません。でもお客さんは夢中で聴き入っています。不思議な土人ぽいリズムに酔いしれています。
 大体、オーケストラの編成がなんであんなに大きいんでしょうか?だからもの凄くうるさい。僕は途中から耳を塞ぎっ放しでした。よく見ると木管楽器なんかは皆キラキラしていて何だか僕の知っているのと違います。フルートなんかもどうやらあれは金属でできているようです。音色もギラギラしていました。それに、見たことがない楽器も混ざっていました。
 音階だけでなく、何だか拍子も変でした。指揮者はちゃんとした4拍子を振っていません。4拍子になったり3拍子になったり、時々素早く振ってみたり、かといってレチタティーヴォではなさそうです。こんなメチャクチャな振り方をしているのに、楽員はピタッと合うんです!一体どんな楽譜になってるんでしょうか?僕の想像では8分の5拍子みたいな狂った拍子が混ざったりしてるかもしれません。
 最初にファゴットがソロで「ド~シソミシラ~」と素っ頓狂に高い音で始まった時は「コイツ狂ったか」と思いました。その後異常に音が暗いオーボエみたいなものが出て来てだんだん楽器が加わり、次第に僕の「音楽の冗談」よりも凄い不協和音の連続、激しい太鼓の連打。どうやら何処かの野蛮な国の儀式をまねているような曲でした。
 しかしお父さん、この雰囲気には不思議な魔力を感じました。次第に引き込まれていく感じ、そこが恐ろしい。だから僕は怖くなって、思わず途中で退出してしまいました。僕とは違う世界かも知れませんし、こんな音楽に酔いしれている人々がいるのも現実なんでしょう。

2.
2013.2.1-3

 お父さん、僕はとても驚いています。世の中にこんな音楽があっていいのでしょうか?ここにはヴァイオリンもフルートもありません。気持ち悪い形のギターを弾いている男が数人。鍵盤があるけどピアノにしては小さい、箱のような物。クラリネットのような吹き口だけどグニャッと曲がった金属製の大きい管楽器。ゴミの固まりのように集まった太鼓や鉄の皿を1人でバシバシ叩いている男。そして何よりこの間のオケの何倍ものうるささ!僕は最初っから耳を塞ぎっ放しで、耳を押さえている手が痛くなった程です。
 音楽はこの間の土人みたいなものよりは、一応ドレミファがはっきり聞こえてきます。ただリズムが素直じゃありません。それにテンポがもの凄く速くて1曲1曲が僕のオペラの序曲よりも短いんです。ソナタ形式でもロンド形式でもないようですが、殆どワンパターンの形式です。いうなれば第1主題と経過部そして第2主題のセットが何回か繰り返されるって感じでしょうか?
 びっくりしたのは、この音楽で何十人もの若い女の子が舞台で一斉に歌ったり踊ったり。そのドレスからは脚が半分以上見えていて、それを少しも恥ずかしがらないんです!不思議なのはオペラの歌い方じゃないのに声が大きいこと。何処か違う所から聞こえていました。何か特別な仕掛けでもあるんでしょうか?
 もっとびっくりしたのは、お客がじっとしていないんです。殆どが若い人です。男の方が圧倒的に多かったなあ。座ってるのは1人も居ないし、立って一緒に体を動かしていて、時々「マリコ~」とか「トモチーン」とか叫ぶんです。僕が思うに彼女達の歌はあまり上手くないみたいですが、もうそんなことはどうでもいい世界のようです。あれはもはや演奏会じゃありません。パーティーです。でも同じパーティーなら僕はやっぱり飲んだり食べたり、楽しくお話ができる方がイイなあ。


3.
2013.2.1-4

 お父さん、今度は室内楽のコンサートに行って来ました。でも編成がヘンです。ピアノとコントラバス(この人は弓を使わず終始ピッツィカートでした)、そしてこの間のうるさい会合で見たひん曲がった金属製のクラリネットもどき、そしてあの固まり打楽器の4人です。それに各楽器の所には変な棒のような物が立っていて、どうやらそれに近づけて演奏すると音が大きくなるようです。だから4人だけなのに意外とうるさくて、またもや耳を塞ぎたくなりました。
 その音楽はやっぱりなんかひねくれていて、いいメロディーも時たまあるんですけど、やっぱり素直じゃない。長調か短調か判らない。とりわけ第3音や第5音なんかを半音下げちゃったりして、隣りの客はそれを「ブルー何とか」とか言っていました。それをどうやら各奏者が順番に更にこねくり回すんです!変奏曲のようにも聞こえましたが、どうやら彼等は譜面を見ないで思いつきでやっているらしい。それが一人ひとり終わる度に、(演奏中なのに)お客が拍手するんです。あ、お客はこの間程えげつなくはなかったけど、客席じゃなくてテーブルでお酒なんか飲みながら聴けるんです。この点は僕も気に入りました。しかも静かに聴いています。時々隣りの人とお喋りなんかするけど、音が大きいからお客はそんなに気にならないみたいです。
 そうそう、何か聞いたことのあるメロディーだなあと思ってよく考えてみたら、僕の曲が混じってました!確かに僕のg-mollのシンフォニーです!でも何でこの人達知っているんでしょう?


注:全部フィクション。念のため。



数あるモーツァルトの手紙から分析するに、やはり“天然”の彼は好みがハッキリし、気に入らない物は気に入らないと言うし、良い物は「イイ」と言う、それでいて優れた洞察&分析力を持ち合わせていると思います。

でも、もしモーツァルトが時代の変遷を考慮し、理解していたとしたら、その時代の音楽はここまでこき下ろさないかも知れず、むしろ天才は受け入れていたかも知れません。

逆に、やっぱり否定的な立場だったとしたら、手紙の内容はもっと下品に罵倒していたでしょうね。お食事中の方のことを考慮して、ここではそこまで表現しませんでしたが(笑)

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : モーツァルトの手紙 春の祭典 AKB48 ジャズ

届かないアーチ

細かい事だが、まあ大事といえば大事な話。

「3連符」という音符がある。3とか5とか7とか、拍の中に割り切れない音符を無理矢理均等に入れる場合、その連符の上にその数字を書いて括弧でくくる…

2013.1.25-1
この「括弧」がポイント。

2013.1.25-2

括弧の書き方には特に決まりはないのだが、原則としてこんなカギ括弧でくくる(A)。上でも下でもよい。
だが、いちいち“カギ”を書くのが面倒臭い程の“急ぎ”の楽譜では、もう括弧は書かずに連符の真ん中辺に数字のみ(B)、いやその数字さえ書いてない場合(C)もある。

それはそれで、演奏者が譜面面(ふめんヅラ)から解釈すれば良いことだ。が、
厄介なのは“カギ”ではなく“アーチ”でくくってある連符。
2013.1.25-3

これも書き方としてはOKなのだが、時折このアーチが「3連符」の事なのか「スラー」の事なのか、判断に困る事がある。

スラーとはその音符の間を「滑らかに」奏する事。具体的にはタンギングをしないで指だけ動かしたりする。
アーチの両端がちゃんと音符まで届いてれば、紛れもなく「スラー」であろう(D)。
ではちゃんと届いていない場合(E)は?
もしかしたら、ただの3連符の事であり、スラーではないので、タンギングをするべきかも…

ま、この程度の事は、練習やら打合せやらで解決できるので、実はそんなに大した事ではない。
がしかーし、昔このことについて究極の選択を迫られた経験があるのだ。それは…?


今から35年前。まさに丁度今頃の時期。

当時はお茶の水にあった母校の入学試験。
入試は第4次試験まであり、1&2次が専門楽器の実技、3次がピアノとソルフェージュ、4次が学科と面接。
いちいち合格発表が挟まり、受験者が少しずつ減っていく。
その確か2次試験の時に「初見視奏」というのがあった。
初めて見る12小節程の小曲を、どの位正確に演奏できるか?という試験。
演奏前に1分だけ「譜読み」の時間が与えられる。

そしてフルートの課題だが、問題の箇所はその2小節目にあった。
4拍目にある3連符が、それこそ中途半端なアーチでくくられていたのだ。

受験生洋司は一瞬苦悩した。これはタンギングするのか、しないのか?
怖~い顔をした試験官の先生方には「これ、スラーですか?」なんて、とても訊ける状況ではない。
訊いても良かったのかも知れないが、その時の洋司にはとてもそんな勇気はなかった。
どうしよう?譜読み終了の時間は刻々と迫る…

ええい、一か八かだ!洋司はこのアーチを3連符の括弧と解釈して、この3つの音符を「TuTuTu」としっかりタンギングして吹いた…



毎年発行されるこの高校の「募集要項」には、前年度の試験課題が課題曲から学科の過去問まで全部載っています。そして初見課題も。

自分の入試の翌年度でも勿論発行されました。そこで早速あの曲の問題の箇所を見てみると…

2013.1.25-4

なんとしっかりスラーが取れているではありませんか!カギ括弧までつけて。
確か試験の時は(E)のように書かれていた筈。

これは憶測ですが、あの時あの箇所について迷った受験生が他にもいたのでしょう。もしかしたら、自分と同じようにタンギングした人もいたかも知れません。
だから逆に皆スラーで吹いていたら、ここにもスラーがついていたでしょう。
後で先生方が協議し、演奏が楽譜を変えたとも考えられるのです。

たかが括弧、されど括弧。ひとつの記号がその人の人生を左右する事だってあるかも…やっぱりないか(笑)

さあ、只今全国の私立高校も、丁度入学試験の時期です。
受験生の皆さん、ファイト!

テーマ : 高校受験
ジャンル : 学校・教育

tag : 3連符 タンギング スラー 高校入試

2つの「みどり」

グリーン・スリーブス

先週の日曜日は、高校時代のフルートの師匠:I先生と、千葉県船橋市にある老人介護施設での慰問コンサートに出演して来ました。

2012.10.26-1

ピアノは師匠の高校時代からの同級生、K先生。

フルート・デュオ&ピアノ/フルート・デュオ/フルート・ソロ&ピアノ/ピアノ・ソロという編成で、全10曲。最後は入所者の皆さんと「ふるさと」の大合唱。ほのぼのとしたコンサートでした。

プログラムの中で自分が演奏したソロの曲は、イングランド民謡の「グリーン・スリーブス」、よく耳にする有名な曲ですね。

日本語では「緑の小袖」、省みれば日本語の意味なんて全く気にせずに「グリーンスリーブス」「グリーンスリーブス」と言っては演奏してきた訳ですが、何故こんな曲名なのでしょう?

ふと気になって調べてみたら…



緑の小袖

当然の事ながら、歌詞の中に何度もこの言葉が出てきた。

Alas, my love, you do me wrong,

To cast me off discourteously.

For I have loved you for so long,

Delighting in your company.

Greensleeves was all my joy
,
Greensleeves was my delight,

Greensleeves was my heart of gold,

And who but my lady greensleeves.


おおかたこんな意味である(実はこの後、何と18番まで歌詞がある)。

ああ、私の愛した人はなんてひどい人
無情にも私を捨てた
私は貴方を長い間愛していた
側にいるだけでも嬉しかった

緑の小袖の貴方は私の歓び
緑の小袖の貴方は私の幸せ
緑の小袖の貴方は私の輝ける心
貴方以外には考えられない


どうやら、緑の小袖の女性にフられちゃったらしい。
ま、ただの失恋の歌かと思いきや、ルーツを辿ってみると凄い事がわかった。

この曲、作曲者は不詳とされているが、少なくとも詩(歌詞)を作ったのは、16世紀のイングランド王:ヘンリー8世ではないか、という説がある。
そして「緑の小袖の貴方」というのは、彼の2番目の妻、アン・ブーリン王妃のこと。

2012.10.26-2  2012.10.26-3

アンは元はヘンリー8世の愛人だったが、正妻の座を彼に強く要求し、最初の王妃を事実上離婚させて王妃になったのだが、その後不倫を繰り返した揚句、処刑されてしまったという凄い女性。
尤も、ダンナの方も、最後は愛も冷めていた説もあるが。

因みに、ヘンリー8世との間に生まれた女児こそが、他ならぬエリザベス1世。

「緑」という色は中世では「愛」を表す色とも言われているが、古きイングランドでは「不倫」「娼婦」「売春」という意味があったそうだ。
つまり「緑の小袖」は性に乱れた女性の証。この緑の小袖は取り外しができて、娼婦達は普段はこれを外して裏の顔を隠していた、ともいわれている。

アン・ブーリンの肖像画を見てみると…確かにその服のSleevesはGreenに見える。

あんなに美しいメロディーなのに、歌詞にはこんな妻の不貞を嘆く意味が込められていたとは…。

ところがこの曲、クリスマス・キャロルにもなっている。
19世紀の作詞家、ウィリアム・チャタートン・ディックスの詩があてがわれた「御遣い歌いて」がそれである。

What Child is this who, laid to rest
On Mary’s lap is sleeping?
Whom angels greet with anthems sweet,   
While shepherds watch are keeping?
This, this is Christ the King,
Whom shepherds guard and angels sing;
Haste, haste, to bring Him laud,
The Babe, the Son of Mary.

マリア様の膝の上で眠っている
この子は誰?
天使達がお祝いの挨拶を贈り
羊飼い達も見つめている
この子、この子こそが王キリスト
羊飼い達は見守り、そして天使達は歌う
さあ急いで、讃えよう
このみどりごを、マリア様の御子を

(讃美歌第2編216番)

「御遣い歌いて」についても、歌詞はこれだけでなく3番まであるが、このように生まれたばかりのイエス・キリストを讃えている讃美歌なのである。

同じ「みどり」でも「緑」と「嬰児(みどりご)」とではこんなに違うのが面白い。

既存の曲に別の歌詞を後付けするというのは、昔からこのようにあった訳だが、自分には「折角のこの美しいメロディーを『緑の小袖』のような悲しい歌だけに終わらせたくない」という、編曲者の強い想いのようなものが感じられてならない。



さて、そして来るアンサンブル・ウォームブリーズのコンサートでもこの「御遣い歌いて」が登場します。

どこで出て来るかって?それは当日のお楽しみ!

右枠をご覧下さい。ご来場お待ち申し上げますm(__)m

テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

tag : グリーンスリーブス Greensleeves 緑の小袖 ヘンリー8世 アン・ブーリン ウィリアム・チャタートン・ディックス みつかい歌いて

プロフィール

Yumochan(ゆもとようじ)

Author:Yumochan(ゆもとようじ)
本名:湯本洋司
フルート&ピッコロ奏者。アレンジャー。
(属)芸大フィルハーモニア/アマデウス・クィンテット/ムラマツフルートレッスンセンター講師

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